私の母方の祖母は東京の大久保育ちでしたので当然ながら歌舞伎役者の贔屓も江戸前で吉右衛門や松緑が好きでした。
上方の雁治郎や仁左衛門は嫌いで「気色悪いよ」と言うのが口癖でした。
上方の芝居と申しますと近松の世話物が代表的ですがつっころばしの軟弱な仕草や情緒綿々の心中の道行など我慢ならないようでした。
上方の客は濡れ場などこってりと露骨なくらい演じないと満足しないと聞いたり読んだりしたことがありますが祖母はこれが気に入らなかったのかもしれません。
伝統的に江戸の客にはえげつない演技や演出はあまり受けなかったようです。
祖母のことを懐かしく思い出しましたのはMETの1967年の椿姫のライブ録音の海賊盤のCDを聴いたからでした。このCDはニューヨークで買いました。
海外に旅行する時は必ずその土地のCDショップに立ち寄りますがCDに限りましては我が国の勉強好きな国民性を反映してか、ジャンルを問わず質、量とも東京が世界で一番充実しているようです。
ニューヨークでも予想通りそう目新しいものはありませんでしたが、METはじめシカゴ、サンフランシスコなどアメリカ各地の劇場での海賊盤がございましたので大量に買い込みました。
その中の一つがこれでヴィオレッタがモッフォ、アルフレードがアレクサンダー、ジェルモンがセレーニ、ガストンにMETの名脇役アンソニーが付き合っています。
指揮は晩年のクレヴァでした。
1967年ですからリンカーンセンターに移転したばかりの時ですね。
アメリカの美人ソプラノ、モッフォのヴィオレッタですから観客はかなりハイテンションです。アルフレードも同じアメリカ人の中堅テノール、アレクサンダーでMET来日公演でもこの役を歌いました。ジェルモンのセレーニはモッフォと度々共演しているイタリアの美声のバリトンで1964年スカラ座でのカラヤンの振った椿姫でも共演しております。
モッフォも母国アメリカのホームグランドMETで張り切って歌っており大熱演で前述致しましたように客席もかなり湧いておりますがいささか悪乗り気味であります。
皆様はヴィオレッタというキャラクターにどのようなイメージをお持ちでしょうか?
クルチザンヌと呼ばれた19世紀パリの高級娼婦で健康も顧みず享楽の人生を送っています。
地方出身の青年アルフレードがのぼせてしまうのですから美人であることは申すまでもありませんが上品でエレガントでなければならないのではないでしょうか。
従いまして個人的な好みといたしましてはこの役に関しましてはオーヴァーアクション気味の高笑いなどのどぎつい感情表現はあまり観たくありません。
このCDを聴く限りでは聴衆を前にして少しオーヴァーアクション気味になるのはやむを得ないといたしましてもモッフォは開けっ広げのアメリカ女という感じでやり過ぎの感があります。
私の知る限りモッフォのヴィオレッタは映画があり、録音ではRCAのスタジオ録音、スカラ、ウイーン、コロン、アトランタそしてこのMETのライブ録音と6種類あります。
これだけあるのですからモッフォにとりましてこの役は自他ともに認める十八番だったのでしょう。残念ながらこのMETのライブ録音は私の好みには合いませんでした。
しかしこの時のMETの聴衆は大喜びであります。
とにかくよく分かるようにオーヴァーアクション気味に演技をしないとアメリカの聴衆には受けないのかもしれません。
分かりやすい人たちですが日本的慎みなど薬にもしたくないようです。
例えば2幕2場でアルフレードが「何故私のもとから去ったのか?」とヴィオレッタに問いただす場面がありますが、ここでヴィオレッタは心ならずもドゥフォールを愛していると苦し紛れに歌います。
ここを憎々しげに歌うのはあまり美しくないのです。
多分日本人の好みですとほとんど消え入るように「Ebben l`amo」と歌って欲しいところです。それをほとんどやけ気味に叫んでしまっては解釈としてはあり得るでしょうが興醒めです。
終幕でも派手に咳をして泣き叫びます。
特にアルフレードと再会して神に感謝の祈りを捧げるべく教会に行く支度をアンニーナに命じますがその口調がヒステリックでしたので驚きました。
かく申し上げる私も実際の舞台を観ておりましたらそのサービス精神旺盛な演技に納得してしまったかもしれませんがもう一度観たいとは思わないのではないでしょうか。
どうやらやり過ぎを嫌った祖母の血が私にも流れているようです。
この記事へのコメントはありません。