今シーズンのMETライブビューイングのフェドーラを観ました。
記念すべき150作目だそうですね。これを始めた総裁のゲルブは17年この地位にいます。
ヴェリズモのヒロインをソプラノ歌手はよくやりたがりますね。
トスカ、アドリアーナ ルクブルール、そしてフェドーラです。
ただ名前だけで客を呼べる大プリマドンナしかこれらの役は振られません。
例えばテバルディ、フレーニ、スコットクラスの歌手達ですね。オリヴィエ―ロはよくこれらの役を歌ったようですがちょっと格が落ちますね。
これらの役はプリマドンナの貫禄、威厳、芸格がもろに出ますので人を選ばないとなかなか成功はしません。
実際に私はウイーンでゲオルギューのアドリアーナ ルクブルールを観ましたがあまりいいとは思いませんでしたが高校生の時に観たNHKイタリア歌劇団のカバリエのそれは彼女がほとんど動かないにもかかわらず大女優に見えました。
今回のフェドーラはヨンチェヴァが希望したのかどうかは分かりませんがMETとしてはチケットがさばけると考えたのでしょう。
周知の如くフェドーラはジョルダーノの作品です。
ジョルダーノと言えばアンドレア シェニエを思い浮かべる方も多くいらっしゃるでしょう。
今年は豊橋の三河オペラが上演しますね。
ジョルダーノの作品でオペラ劇場のレパートリーに残っているのはこの2作品のみです。
METで上演されたのは今年の1月でしたが上演は久しぶりだったようです。
タイトルロールは最近来日したヨンチェヴァ、ロリスをポーランドのスターテノール、ベチャワという現在望みうる最高のキャストでした。
脇もそれぞれ芸達者な歌手を揃え豪華なセットと衣裳。1880年代の時代考証も性格でした。
演出はマクヴィカー、指揮はアルミリアート。
完璧な布陣です。
結果から書きますとこれだけの人を揃えながらも作品の価値は変えられませんでした。
はっきり申しましてこの作品は三流です。
プリマドンナの芸格でなんとかするレヴェルではありません。
まず台本がひどすぎます。
ロシアの皇女が婚約者を殺され復讐しようとしたらそれが婚約者の浮気による痴話喧嘩が原因と知ると今度はその下手人を愛しますが自分が出した告発状でその男の兄と母を殺すことになり悩んで自殺しちゃうお話。
まるで共感できないお話です。フェドーラはただ執念深い陰険女、ロリスは人を殺してもパリで遊んでいられるほどの金持ちのろくでなし。ロシア革命が起こってもしょうがないと思わせるロシア貴族の身勝手さしか感じません。
これにヴェリズモの三流の甘ったるい音楽がついたらもうお手上げです。
どうやってもうまくできるとは思えません。
主役二人はよく演じていたと思います。ただどう演じても魅力的な人物にならないのです。
これは彼らの責任ではないでしょう。
インタビューで指揮者のアルミリアートがもっと上演されてしかるべきと言っておりましたがそうは思えませんでした。
救いようのない陳腐さです。
唯一このオペラで有名になったテノールのアリエッタ「恋は汝を許さじ」ですがこの曲は当時流行したのでしょう。ただそれだけです。
冷静に見ますとこれはこてこてのイタリア大衆演劇であります。
まず祖国に帰ることが出来ないロリスが母親、マンマに会いたいと泣く場面、兄と母が亡くなったと泣き叫ぶ場面、恋はあなたを許さない。愛していないと言っても愛しているのだと訴えるところなどイタリアあんちゃん全開であります。
多分、当時はナポリあたりではバカ受けだったのではないでしょうか。
こう考えますと三文芝居には違いありませんが歌舞伎のように設定を替えてイタリアの人情芝居をそのままオペラにしていると思えばそれはそれで楽しいのかもしれません。
初演は1898年ミラノのテアトロリリコ インテルナツイォナーレ。ロリスはカルーソでした。
こてこてのナポリ人ですよね。
そういえばテバルディとディ ステファノがナポリのサンカルロで共演した海賊盤がありました。
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