コラム

あなたオーディション受けてみて

シカゴ交響合唱団のシェフだった、ピリス女史のインタビュー記事を読んでいてこんな箇所にぶつかりました。
インタビュアーの「しばしばあることだとは思うんですがもしソリスト志望のメンバーがここにずーととどまるつもりはないので合唱団では歌いたくないと言ったらどうお答えとになりますか?」という質問の答が「いいわよ。あなたが5年ここに居て最初にMETに行った人みたいになれるんだったら好きなようにしなさい。その人はシェリル ミルンズというのだけれどねと言ってやるわ!」というものでした。

シェリル ミルンズ! アメリカの生んだ偉大なバリトン歌手がシカゴ交響合唱団に在籍していたということは少なからず私を興奮させました。
早速調べてみましたが安直な経歴紹介には彼のオペラのキャリアしかなくオペラ歌手になる以前のキャリアは紹介されていませんでしたのでウイーンで入手したミルンズの自伝 “Amerikan Aria Encore“ を拾い読みしてみました。

そうしたらありましたよ。彼はこのインタビューの通り5年間在籍していました。創設期のメンバーです。
どうやらミルンズはヒリス女史にスカウトされたようです。1950年代ヒリス女史は合唱,オケの指導で精力的に活動しておりその中でミルンズが学び所属していたドレーク大学の合唱団にゲスト指揮者として招かれました。いい声のバリトンの青年に気が付くのにそう時間はかからなかったでしょう。そしてこう言ったのです。
「シカゴで合唱団を作るからオーディションを受けてみて。」この瞬間ミルンズのプロ歌手としてのヴィクトリーロードが始まりました。

ヒリス女史はシカゴのシーズンオフにはサンタフェのオペラの合唱に誘うなどこの大柄な青年に何かと目をかけたようです。ミルンズもギャラはほとんど無いに等しかったけれど貴重な体験をすることができたと言っています。
1957年の創設メンバーですからヒリス女史の初仕事の1958年のワルターのシカゴ客演のモーツアルトのレクイエム、ライナーがスタジオ録音した第九にミルンズも参加しているわけです。

ヒリス女史はインタビューの中で言っています。「ここから巣立っていった才能は一人や二人じゃないわ。でもレヴァインさんはこう言ってくださるの。‘君の所からMETに来た歌手は出来上がっているよ‘と。」

日本でも合唱団に在籍しながらいつかはプリマ、プリモになろうと考えておられる方がいらっしゃるかもしれませんが焦らずに合唱に真剣に取り組むことがその近道であることをこのエピソードは教えてくれます。その後ミルンズがシカゴ響にどれくらい客演したかは分かりませんがヒリス女史はアメリカのスターバリトンに成長したかつての大柄な大学生と握手するたびに誇りに思ったに違いありません。

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