ドナルド キーン氏のエッセイ集「音楽の出会いとよろこび」を45年ぶりに読み感想をかきましたところ面白くて思わず長文になりました。
もう少しお付き合いください。
このエッセイ集の後半はニューヨーク音楽日記として1977,1978,1979年のニューヨーク滞在時に見聞したオペラ、コンサートの記録です。
キーン氏は母校コロンビア大学で教鞭を執る仕事でこの時期の春はニューヨークに滞在しなくてはなりませんでした。
もっともニューヨークは彼の生まれ故郷ですから友人も大勢居てリラックスできたのでしょうがこの滞在時は音楽三昧の日々だったようです。
当然ながらMETのオペラが見物の中心となります。
ニューヨークは私の感覚では住みたい街ではありませんが世界の一流の音楽家が集まる街であることは事実です。
大学生の頃はオペラの殿堂METを夢見て夢中でこの部分を読みました。
再度読み返してその時の高揚感を懐かしく思い出しました。
かいつまんで年ごとのトピックを挙げてみましょう。
1977年はラインスドルフの振ったヴァルキューレ、サロメを観てこのヴェテラン指揮者の円熟を伝えております。日本でも彼のレコードは廉価盤でかなり出ていましたが評価は今一つでしたが来日時には意外と好評だったのを憶えています。
歌手達の評価は絶賛と酷評がはっきりしていて痛快でさえあります。
酷評はかなり辛辣です。
ヴァルキューレではフンディングのマンフレード シェンク、ジークリンデのジャニス マーティンは好印象だったようですがブリュンヒルデのリタ ハンターについて声はともかく体型が無惨で女戦士と思うにはかなりの努力を要したとしています。
他にもアーロヨ、ドミンゴ、マックニール出演の運命の力、シャシュのMETデヴューのトスカを伝えておりますがこの年のハイライトはプーランクのカルメル修道女の対話のMET初演でした。
クレスパン、ヴァーレットらの出演で英語上演だったそうです。
戦後は原語上演が主流と思っていましたが世界に冠たるMET でも当時は薬師上演をしていたのが意外でした。
もっともキーン氏はほとんど英語が聞き取れなかったと言っています。
フランス語を想定して書かれた楽譜ですから他の言語に置き換えると無理があるのでしょう。
皆様はこのオペラをご覧になったことがお有りでしょうか?
私はこのオペラが苦手であります。
プーランクの名作でありますがあまりに話が暗くて特にフィナーレの聖歌を歌いながら修道女が一人ずつギロチンで死刑になり消えていく場面のギロチンのシャーという音は気持ちが悪くて鳥肌が立ち聴く気になりません。
信仰上の恍惚感は我々日本人には遠くあまり理解できないというのが本音です。
それはアメリカ人にも同じらしくこの日は休憩時間にフォワイエでシャンペンを飲むような空気ではなかったようです。
終演後もしばらく会場を沈黙が支配しその後拍手が大喝采になったのだそうです。
インパクトの大きさが分かります。
もう一つはマイアベーアの預言者の上演です。滅多にやりませんね。
アメリカのビッグネーム、マックラケン、ホーンの共演でも宿曜が無くこのオペラはつまらないとの結論でした。
キーン氏は謙虚で、もしかしたら間違っているかもしれないと思いご丁寧にもう一度聴いたのだそうです。
結論は同じでマイアベーアはもう墓に眠らせておこうとのことでした。
その3に続く
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