コラム

ローマ歌劇場

コロナが落ち着き外来のオペラ団やオーケストラがまたこぞって来日するようになりました。うれしいことです。

先日、ローマの歌劇場が来日して椿姫とトスカを上演いたしました。
ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。
椿姫にはオロペーザ、トスカにはヨンチェヴァと言う今が旬のプリマドンナを起用し相手役がメーリ、グリゴーロという豪華さでした。
SNS等の反応も概ね好評のようでした。

演出も椿姫がゴットファーザーのコッポラ監督の娘ソフィア コッポラ、トスカがゼッフィレッリでした。ソフィア コッポラはゴットファーザーパートⅢでドン コルレオーネの娘役で出演していました。

2つとも古いもので目新しさはありませんがその豪華さは好き嫌いはあるのでしょうが目を見張るものがあります。

さてローマは言うまでもなくイタリアの首都であり古代より文明が栄えた地であります。
ただイタリアという国は地方自治体が強くローマがイタリアの中心と言う意識は薄いようです。
もっともヴァチカンがございますので人が集まる街ではありますがここはカトリックの大本山で厳密にいえば異なる国です。

オペラの世界でも現在ローマはと北のミラノとかと比較すると分が悪いようです。
イタリアは文化度が南に行くほど下がると言われておりますが、ローマはどちらかと申しますと南に属します。

ローマの歌劇場は古くは栄光の時代もございましたが長らく低迷の時代が続きました。
簡単に歴史を追いますと1880年から1926年までコンスタンツィ劇場と言いました。
この時代にカヴァレリア・ルスティカーナ(1890年 5月17日)、トスカ(1990年 1月4日)が初演されました。
1926年から1946年までは王室歌劇場となりました。この時代はファシスト政権が肩入れしており、恐慌で不景気のアメリカからイタリアに戻った歌手達と契約して黄金時代を迎えました。
その頃の歌手はヴォルピ、ジーリ、カニーリア、チーニャ、スティニャーニなどの名歌手を揃え、シェフは名匠セラフィンでした。
戦後は1950年代までは黄金時代の名残がありましたが1960年以降は下降線で今一つパッとしませんでした。

戦後ローマ歌劇場で有名な事件と言えば1958年のカラスのスキャンダルでしょう。
1月2日、当時のイタリア大統領ブロンキ臨席のノルマの公演でカラスは1幕を歌いましたが2幕以降をキャンセル、公演中止となった事件です。

オペラファンであればご存じでしょう。
この公演は海賊版で聴くことが出来ますがそれを聴く限りではさほどカラスの調子が悪いとは思えません。
ただ伝わる話では劇場のムードは最悪で天井桟敷からは「それが100万リラの声か!」とヤジが飛びただでさえ神経質になっていたプリマドンナが切れたとのことです。

大騒ぎとなり楽屋口から出られないカラスは秘密の地下道を通り劇場に隣接するホテル,クイリナーレに避難したとのことです。
ローマを訪問した際にそれを探してみましたがよくわかりませんでした。どうも現在は閉鎖されているようです。
キャンセルした他の日の公演はチェルケッティがノルマを歌いました。

2010年には栄光を取り戻すべくムーティがシェフになりましたが組合問題で2014年に辞任しました。この時は全員解雇、劇場閉鎖の寸前までいく大騒動でした。

首都の劇場はなかなかうまくいきません。
戦後はスキャンダルで有名になるという不名誉な歴史でした。

ローマの歌劇場はローマのテルミナ駅のすぐ近くにあります。
ちょっと場末感が漂う一角です。
エントランス前はベンジャミーノ ジーリ広場と言うのですが広場と言うには狭い空間でした。

劇場自体も東京ならば再開発で壊されそうな南夫変哲もない建物でした。

中に入りますとエントランスで右側にチケット売り場があり、劇場に向かいジーリとヴォルピの胸像があります。
ローマ歌劇場の黄金時代を支えた二人のテノールです。
これが唯一栄光の名残でした。


私がローマに滞在したのは年末から正月にかけてでしたので劇場は開いておりましたがオペラ公演はなく、バレエ公演の白鳥の湖を観ました。
この公演は途中で女王様の冠が取れてしまうハプニングでよく覚えています。

ローマ歌劇場のオケ、合唱団を起用してのオペラの全曲録音は戦後の1960年代まではありますが1970年代になりますとパッタリとなくなります。

ご当地物のトスカは意外と少なくて1939年のカニーリア、ジーリが歌ったファブリティース盤と1957年のミラノフ、ビョールリンク、ウオーレンが歌ったラインスドルフ盤の二つのみです。

初演をしたカヴァレリア・ルスティカーナは1962年のロス・アンヘレス、コレルリを起用したサンティーニ盤のみです。

一番多いのは蝶々夫人です。1939年のファブリティース盤から1966年のバルビローリ盤まで5種類あります。ダル・モンテ、ジーリを起用したファブリティース盤、若いスコットがタイトルロールを歌うバルビローリ盤はともに名盤ですが私はディ ステファノがピンカートンを歌う1954年のガヴァッツェーニ盤が好きです。

他にも1954年のゴッビ、クリストフ、ステルラが歌ったサンティーニ盤のドン カルロ1960年のヴィッカース、ゴッビ、リザネクが歌ったセラフィン盤のオテッロ、同じく1960年の二ルソン、ビョールリンク、テバルディを起用したラインスドルフ盤のトゥーランドットなどファンなら気になるものもあります。



ただ聴いてみますと歌手によっては衰えが見えたり逆に若い人は生きが良かったりと新旧交代が目立つ録音群ではあります。

1960年代になりますと後に大歌手になる人たちがどんどん起用されてきますので歌の水準は高くなりますがオケ、合唱の技量が落ち始めます。
DECCAはローマの聖チェチーリア音楽院のオケ、合唱を使い始めました。これも録音が減った原因の一つでしょう。

それでも1963年のフレーニ、ゲッダのシッパーズ盤のボエーム、1966年のこれもゲッダ、フレーニのモリナーリ プラデッリ盤の愛の妙薬、1966年のステルラ、コレルリを起用したサンティーニ盤のアンドレア シェニエなどは名盤でどなたにもお薦めできるものです。この3種の録音でプリモバリトンはどれもセレーニが歌っています。


 

 

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