コラム

ポーザ侯 ロドリーゴ

ヴェルディのドン カルロに登場する主要な役は実在の人物が多いのですが、ロドリーゴだけはドン カルロの親友且つフェリペ二世の重臣という重要な役でありながら架空の人物であります。

原作のシラーの戯曲にももちろん登場いたしますので多分モデルとなる人物がいたに違いないと思い少々調べましたところ面白い史実にぶつかりました。

スペイン皇太子カルロはフェリペ二世にとりましては不肖の息子でありました。
当時マドリードに駐在していたヴェネツィア大使の報告にはカルロの体型は「瘦せていて左右の肩の高さ、足の長さが異なり背中に瘤があり」とまるでリゴレットのような容姿です。

性格も「わがままでひねくれており高尚なことにはほとんど興味を示さず食べることのみ興味を示す。言動も幼稚」と暗愚を絵にかいたようなさんざんな評価です。

祖父にあたるカルロス五世は一度だけ謁見を許したことがありましたがこの孫に対する不快感を隠さず表情に表したと伝えられております。

しかしその一方貧しい人に陰で施しをしたり義母のイザベラが死にかかった時は礼拝堂で眠らずに祈ったという逸話もあり少し救われる気もいたします。

カルロは1956年に23年という短い生涯を終えました。現代であれば大学を出たくらいでしょう。
幸薄い貴公子で楽しいこともそう無かったでしょうが短い生涯の中で唯一青春と呼べる時期があったとしましたらカルロス五世の庶子でカルロには叔父にあたるファン デ アストリア、従弟のパルマ公子、アレハンドロ ファルネーゼと3人でアルカラ デ エナレス大学で学んだ時ではないでしょうか。

いくら出来の悪い子でも正嫡のれっきとしたスペイン皇太子ですから何とか帝王学を学び将来のスペイン王としてふさわしい青年になって欲しいという父親フェリペ二世の親心だったのでしょう。

ご学友に選ばれた二人はともに血統、資質共に申し分のない優秀な青年たちでした。
後にファンは軍人、ファルネーゼは行政官としてフェリペ二世の重臣となりました。
この二人の万分の一でもよいからカルロがその資質を学び取って欲しいと王は願ったに違いありません。

フェリペ二世の願いは通じたかに見えました。
当時の大学の授業がいかなるものかは不明ですが午前は座学、午後は体育という内容だったようです。

何事も飽きっぽくて子供のような皇太子の成績が良かったとは思えません。
ファンは座学には興味を示しませんでしたが体育には異様な興味を示したようです。軍人になるという明確な目標が明確にあったのでしょう。
ファルネーゼは優等生でバランス良く何事もよくこなしたようです。彼も将来はスペインの重臣になるという希望がありました。

三人とも年齢がほぼ同じでしたから打ち解けて何でも話をしたようです。
カルロも大いに二人から刺激を受け将来のことを考えるようになり快活な学生生活を送ったようです。
門番の娘に夢中になり宿舎を抜け出そうとして階段から落ちて死にかかったのは玉に瑕でしたが。

これはこれで喜ぶべきことだったのでしょうがそこは我儘に育てられたお坊ちゃんですから一度思い込むと手が付けられないことになります。
将来の自分のあるべき姿を思い描くようになったのはいいのですがあろうことかフランドルの王になることを強く願い始めます。

スぺイン王となる身分の青年ですから別にあり得ない望みではないのですがフランドルの地はプロテスタントの勢力が侮りがたくなってきておりフェリペ二世にとって頭の痛い統治の難しい土地でした。
そこへ未熟なカルロを行かせるわけにはいきません。

少し冷静に考えれば分かることですが思い込んでしまうと歯止めがきかないのがカルロでした。
大学からマドリードに戻り責任ある地位も何も与えられず鬱屈したカルロはフランドル行きを画策します。
父王がエルエスコリアルの宮殿に行幸で留守の間に国会を召集し有力貴族に書簡を送り自分への支持を命じるなどしますがどこか大人げなくて間が抜けています。
王にはその行動は筒抜けでした。
正式に老練な軍人であるアルバ公爵がフランドル総督に任命されてもまだ諦めません。

ここで学友のファンが登場します。
ファンは大学から戻ると海軍の将官に任命されフェリペ二世の覚えもめでたく充実した日々を送っていました。このファンにカルロは相談を持ちかけます。

「俺はフランドルの王になることに決めた。船を用意してくれ。お前も来い!」と半ば命令口調で言われたファンは驚くと同時に王に対する忠誠心とカルロに対する友情の板挟みに悩んだに違いありません。

カルロ様は一度言い出したら何を言ってもお聞き届け下さらない。
その性格を読んだうえで「陛下、1日だけ考える時間を下さい」と答えました。

常識的に考えてカルロがフランドルに行っても何の国益にもならないことは自明の理です。
結局ファンはエルエスコリアルに馬を走らせフェリペ二世にこの顛末を注進することになります。

王は若い将官の忠義に感じ入ると同時に大きなため息とともに「愚か者め」と呟いたにちがいありません。
結局カルロは逮捕、幽閉されそこで亡くなります。
フランドル行きもそうですが直接の引き金になったのは教会で聴聞僧に「父を憎んでいる」と言ってしまったことだそうです。
子供っぽい過ちですが成人の皇太子が口走れば立派な反逆謀反と見做されても仕方のない行動でした。

オペラではロドリーゴは貴族で名誉な軍人の家系だとされています。
カルロの親友で彼にフランドル行きを勧めますが同時にフェリペ二世の股肱の臣であります。
フランドルの陳情団に激怒したフェリペ二世に対して剣を抜き抵抗するカルロから剣を取り上げるロドリーゴを思い出してください。そして宗教裁判長に反逆を告発されてカルロの面前で銃に撃たれて暗殺されます。

ロドリーゴはフランドルに理想郷を夢見る策士の印象が強いのですが実在のファンにフランドル行きの野心があったといたしますとカルロの親友でフェリペの重臣である条件を満たしておりそのままロドリーゴの役どころになります。
歴史にIfは禁物ですがファンはカルロを傀儡にしてフランドルの統治に思う存分腕を振るうという図式もあり得たでしょう。

ロドリーゴのモデルは王弟ファン デ アストリアに違いありません。
ファンは後年レヴァントの海戦でスペイン艦隊の指揮を執り勝利してフェリペ二世が嫉妬して警戒するほどの傑物となります。
その後皮肉なことにフランドルに派遣されてそこで生涯を終えます。31歳でした。

ファンはフランドルの地でもしあの時カルロ様とここへ来ていたとしたらどういう人生だったろうと一人感慨に耽ったのではないでしょうか。

 

 

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