コラム

45年目の再読 その3

1978年のオペラ見物はまずMETでのアドリアーナ ルクブルールです。カバリエ、カレラス、コッソットという配役で1976年NHKイタリアオペラの日本初演の時と同じでした。
指揮はロペス コボスです。カバリエは日本でも神技のようなピアニッシモを聴かせてくれました。

この時も素晴らしい声で歌ったようですがニューヨークの評論家たちはその体型が女優に見えないであるとかフェードルの台詞の朗誦が棒読みであるとかいちいち難癖をつけたことにキーン氏は我慢が出来なかったようです。

容姿だけが重要ならモッフォを選ぶべきだがあの酷いのどで満足できるのかとか、フェドーラの台詞の朗誦などこの三流オペラに幾何の価値があるのかとかなり激しく反論しています。

ジーリがこのアドリアーナ ルクブルールのマウリツィオのロマンツァを歌った音源で笑えるくらい自由に歌っていたのを思い出しました。彼はヴェルディではこういう歌い方を絶対しません。

キーン氏は基本的にあまりニューヨークの評論家達があまり好きではないようで特にニューヨークタイムズの当時の音楽欄の主筆ショーンバーグが嫌いだったようです。

ただ次に観たオテッロは珍しくそのショーンバーグと意見が一致したようです。
レヴァインの指揮でヴィッカース、リッチャレルリ、マックニールの布陣でした。

ヴィッカースはあまりスター性がなくどちらかと申しますと玄人好みのテノールでしたが役になりきれる人だったような気がいたします。
マックニールのイヤーゴの他は非の打ち所がない名演だったようです。

キーン氏はこのアメリカのバリトンをあまり評価していないようでいいと思ったことがないのだそうです。いささかかわいそうな気もしますがアメリカのバリトンには総じて厳しい評価です。

メリルは役になりきったことがない、ミルンズはよく歌うが品に欠けるなど厳しいことを言います。


これはキーン氏が往年のバリトン、レナート ウオーレンを最高と思っていてそれが基準となっているからです。

ウオーレンは古い人でMETの運命の力のドン カルロを演じている時に急死したことで有名です。ファンの心理といたしまして最初に聴いて感動した歌手は忘れることが出来ないものでそれが基準となり無意識に他の歌手と無意識に比較しているものです。

それでキーン氏はアメリカの他のバリトンが物足りないのでしょう。
正直申し上げて役柄によりましてはメリルやミルンズのほうがいいと思うものが私にはございます。

以上が観て満足した公演で他は凡演、駄演だったようです。

マスネのタイ―スはシルス、ミルンズの共演でシルスの強い希望で上演されたとしています。
歌手たちは悪くないのだが作品が絶望的につまらないと言っています。
もう上演のないことを祈るとまで書いていますが後年METでフレミングとハンプソンで上演しました。私はライブヴューイングで観ましたが退屈でしたね。

ファボリータはタイトルロールに予定されていたヴァーレットの代役が酷くさらにフェルナンドのパヴァロッティもアレキサンダーに代わってしまい救いようのない出来だったとしています。意識的にヴァーレットの代役の名も書いていません。
辛うじてアルフォンソ王のミルンズだけがオペラになっていたとかなり怒っています。

ドンジョバンニを2回。
1回目はボニングの指揮でサザーランドがドンナアンナを歌ったものです。
サザーランドの声に衰えが見えたこと、ヴァラディのドンアエルヴィーラが良かったこと、トゥーランジョーのツェルリーナが史上最低だったことを報告しています。

2回目のプリッチャードの振ったものはミルンズのタイトルロール、トモワ シントウのドンアアンナ共に高評価ですがハーウッドのドンアエルヴィーラはまるで魅力がないとしています。

ベームが振りリザネックが出演した影のない女は最高だったと書いてはいますがオペラそのものの内容がまるで理解できないと告白しています。
どうもキーン氏はR・シュトラウスとはあまり相性が良くないようです。

(その4に続く)

 

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