広島で広島シティオペラのタンホイザーを観ました。
広島は中国、四国地方の中止の街でエリザベト音楽大学もありオペラの盛んな所です。
私は原爆ドームを見るのはほぼ20年ぶりでした。
東京から新幹線で約4時間強。マツダスタジアムの大きなCARPのロゴマークが左手に見えたら広島です。
タンホイザーはこの地方では初演だったようです。電話で予約したのですが電話口の方が東京から行くとお伝えしたところ感激されてお金はあとでいいからとチケットを送ってくれました。
私は制作をやっていますから気持ちがよく分かります。
会場はアステールプラザ大ホールでピットが深くいいホールでした。パーカッションは上手の花道に上げていましたがこれはよく分かりませんでした。
パリ版の上演でバレエが付きます。ヴェーヌスベルクの場ですね。
ここはバレエで肉襦袢とか半裸できわどい振付のダンスになりますがさすがに地方のバレエ学校のお嬢さんたちですからそうもいかないのでしょう。
赤いコスチュームでおとなしいものでした。
内容は演出がひどくて残念ながらあまり感心は致しませんでした。
ただ合唱団はアマチュアでしょうが彼らの意気込みは伝わってまいりました。
さてひどい演出をいちいち挙げて批判することは致しませんが全体的に薄っぺらで本当にこの人真剣に考えているのかなと思いました。
中でも許せなかったのは合唱の扱いでした。
いいオペラ公演にする秘訣は小さい役の人、合唱の人達に気を配るべきなのです。
主役級の人たちは誤解を恐れず言えばほっといてもいいのです。
自分で考えられるスキルがあるから主役を張っているのですから。
まず合唱の衣裳の粗末なこと。
その他大勢を粗末などうでもいい衣裳にしたら舞台がみすぼらしくなるのは自明の理です。
人数が多いのですから当たり前ですよね。
有名な歌合戦の場。ソリストたちはそれらしい衣裳。合唱は上下黒に交通整理のおじさんのような上張りを着て出てきました。
しかも譜持ちでした。譜を持ちながら王に挨拶したり動揺したりします。
楽譜を見て歌うということは暗譜が間に合わないとかいろんなことがあったのでしょう。
それは責めませんがその時点でオペラからは外れますので演技はさせちゃいけません。
中途半端な挨拶させたり動揺のアクションをさせたりするのは見苦しいだけです。
ここは黒子に徹して音楽だけしっかりやらせるところでしょう。
そのほうが舞台は美しく筋が通るのではないでしょうか?
暗譜が前提ですがソリストが貴族の衣裳ならそれに準じる衣裳を用意するべきでしょう。
1点豪華主義はオペラでは禁じ手です。
さて巡礼の合唱は単独でグリークラブが頻繁に演奏する男声合唱の名曲です。
タンホイザーでは2回登場します。すなわちローマへの行きと帰りです。
さすがにこれは移動しながらの歌になりますので暗譜でした。
ここでも衣裳が気になりました。ここでも画一的なのです。
巡礼の衣裳ですから決まってはいます。粗末な僧衣でしょう。
それはいいのですが杖を持つ人、持たない人、頭巾をかぶっている人。元気な人。疲れてややっと歩いている人。
様々な人が居るはずです。一つとして同じ人生はないのです。
何故みんなに杖を持たせるのでしょう?
何故頭巾を被った人が居ないのでしょう?
あまりにイメージが貧困ですよね。
ここは合唱のおじさん、お兄さんたちをやる気にさせなくてはいけません。
私が演出家だったらこう言います。
「皆さんは遥々ドイツからローマまでアルプスを越えて歩きます。目的は罪の許しを得るためです。途中で病に倒れて死ぬかもしれない。でも神様を信じて行こうとしています。
不安だけど目的があり仲間もいますからやれそうです。それが往路の合唱の心持です。
復路は目的を果たしての帰路です。遂に念願が叶いローマで罪の許しが出ました。
体はくたくたですが喜び勇んで故郷に帰ります。
ハレルヤの叫びはほとんど泣き笑いです。皆さんの歓びが大きいほどタンホイザーの哀れさがにじみ出ます。頑張ってください。」
私が合唱団員であればこれだけ言われればどうすればよいか考えます。
要は手引きをして考えさせることが演出の仕事のような気がします。
もう一つ気になったことがありました。
道にマリア像が置かれていましたが巡礼の人たちが素通りなのです。
これはありえません。前で跪くか何らかのアクションがあるべきでしょう。
要するにすべてにおいて気配りが足りないのです。
ソリストたちに関しては失礼ながらあまり印象にありません。
中ではタンホイザー役の片寄純也が音程は悪いもののローマ語りまでしっかり声を維持したスタミナは褒めもいいでしょう。
タンホイザーは難しいオペラだと思いました。
次はいつ舞台で観ることが出来ますか?
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