コラム

MET の不思議

2016年ですからもう6年前ですが5月の連休にニューヨークへ参りました。
ニューヨークと申しますとあらゆる分野で世界の最先端のトレンドの発信地という洗練されたイメージがある反面、犯罪の多い恐ろしい街というイメージがあるため世界最高のオペラハウスの一つMETがあるにも拘わらずなんとなく敬遠しておりましたが、ニューヨークに旅行した友人から夜中に地下鉄に乗ってエムパイアステイトビルを見物に行った話を聞いて、これは案外、安全かもと思い行くことに決めました。

さすがにアメリカ東海岸は遠く成田からケネディ空港まで14時間かかりました。
不能率極まりないパスポートコントロールに苛立ち、ホテルの前まで運んでくれるリムジンバスでホテルに辿り着いたのは昼の3時頃でした。
その夜はMETでボエームの公演がありましたが何をする気力も残っていませんでした。

ホテルはチェルシーと呼ばれる一角に取りました。チェルシーと申しますのは飴玉の名前かと思われる方もいらっしゃるでしょうから説明いたしますとマンハッタンの中心街であるミッドタウンの南でダウンタウンと呼ばれている地域です。

ガイドには「ブティックや画廊が集中するおしゃれな地域」とありましたがそんなイメージはまるでなくて下町そのものの雑然としたところでした。
西23丁目の7番街と8番街の中間にその小さなホテルはありました。ホテルを出て右に3分程歩くと地下鉄の入り口があります。
ここから地下鉄の1番線でMETのあるリンカーンセンターの西66丁目まで乗り換えなしで行けましたので便利ではありました。
ただこの駅は1番線だけではなく2番線、3番線も停まります。
1番線はセントラルパークの西を北上してコロンビア大学方面に行き、2番線は96丁目の手前で枝分かれしてハーレムに行き、3番線はそれからさらに遠いヤンキーススタジアムのあるブロンクス行きでした。
そして2番線、3番線は西66丁目には停まりませんでした。

2番線、3番線は行き先から当然黒人の方が多く乗っており最初に乗った時には西66丁目を通過してしまいましたのでかなり戸惑いました。1番線しか停まらないのです。
これは現地のアメリカの方でも最初は分からないらしくある老婦人に「これでリンカーンセンターに行けるの?」と尋ねられました。

MET!!  遂にこの世界最高のオペラの殿堂に巡礼が叶いました。
写真や映像でよく目にする正面広場の噴水、ロビーのシャガールの絵、ワイン色の絨毯の螺旋階段などこの目で見ることができました。
あの時は‘エレクトラ`‘オテッロ‘`後宮からの誘拐‘の3演目を観ることができました。
ちょうど音楽監督のレヴァインの勇退が発表されたばかりの頃でしたがレヴァインの薫陶よろしくさすがにオペラハウスのオケとしましては世界の最高水準でした。
`後宮からの誘拐‘はレヴァインが指揮をしましたがオケは全身全霊で反応する一つの楽器と化しており晩年のベームが指揮するウィーンフィルを彷彿させる演奏でした。

因みに指揮は‘エレクトラ`がサロネン、`オテッロ‘はフィッシャーでした。
彼らに対する反応もさりながら何よりもどの楽器奏者も歌をよく聴いていてよく知っていることがその演奏から分かります。
特に‘エレクトラ`はオーケストラが無神経だと聴いてられませんがオケがうるさいと感じた瞬間は一度もなくこんなに繊細な作品だったのかと考えを新たにいたしました。
サロネンのアプローチによく応えたオケの功績でした。

一流を知りたければニューヨークへ行けという言葉は今のオペラの世界では真実であります。オーケストラと呼ばれる一階の平土間の後ろのほうで200ドル、2階のバルコニーが150ドルくらい、三階のドレスサークルが100ドルでしたからいい値段ではありますがそれだけの価値は充分にありました。

オペラの殿堂の中を探索してみますと正面左右は有名な螺旋階段で大きなシャンデリアが吊り下がっています。
正面は半地下でバーのカウンターがあり左右にオーケストラの客席への入口があります。その下の地下には駐車場に通じる自動ドアがりその左右の壁面には歴代の出演歌手たちのポートレイトが飾られております。
そこからエレベーターへの通路は小さなギャラリーになっておりここにも歌手や関係者の肖像画が展示されております。
ピンツァ、レーマン、メルヒオール、ウォーレンなどの絵に囲まれておりある種の厳粛な気持ちにさせられる一画であります。

正面左右の螺旋階段を上りますとバルコニーやドレスサークルに通じますが展示物はそうありませんでした。
2階のホワイエにトッツイ、ミラノフが使用した`シモン ボッカネグラ‘のふぃえすこ、アメリアの衣裳が展示されているだけでした。
資料は山のようにあるのでしょうから是非博物館を新設して欲しいと思いました。
ここで大きなことに気が付きました。
なんとMETにはガルデローベがどこにもないのです。ヨーロッパであればどんな小さな劇場にも必ずあります。
この時は5月と申しますのに肌寒い日が続きましたのでご婦人はコートを羽織り来場される方が多かったのですが客席まで持ち込んでおりました。
これには少し驚きました。本当にないのでしょうか?

話は飛びますがニューヨーク滞在中に古本屋で1950年発行の「OPERA SOUFFLE」というイラスト集を購入しました。これには1950年当時の観客の風俗が描かれていて興味深いのですがこの中に当時の観客もコートを客席まで持ち込んでいる絵がありました。
またホワイエで喫煙しているご婦人もコートを羽織っております。
旧いMETは寒かったのかもしれません。

旧いMETはブロードウェイの39丁目と40丁目の間にありましたが、劇場の上がアパートという構造でしたからそう広くはなかったためホワイエにガルデローベを設けるスペースがなかったのかもしれません。
またご婦人方は毛皮のコートを誇示するために持ち込んだのかもしれません。
それはともかくとして旧METの習慣をそのまま踏襲しているならばガルデローベは必要ないことになります。

これが影響しているのか私が訪れた時は盛装の方はあまりおりませんでした。
白いタキシードと青いドレスの素敵なご夫婦がいらっしゃいましたが完全に浮いており、どちらかと申しますとあまり服装にこだわらない方が多いような気がいたしました。

アメリカ人気質と申しますか形式にこだわらずフランクにオペラを楽しむという姿勢の表れなのかもしれません。
そう言えばレヴァインが指揮をした`後宮からの誘拐`の時、ピットにレヴァインが挨拶で顔を出した瞬間、前に座っていたご婦人はまるでハイスクールの生徒のように「ジミー!」と叫んでおりました。アメリカならではのことでしょう。

 

 

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