オペラ好き、芝居好きの方にとりましてウィーンの穴場の一つにオーストリア テアターミュージアムがあります。私もウィーン滞在時には必ず一度は訪れますが未だに同邦の方とお目にかかったことがありません。ウィーンにはシュターツオーパーの博物館もあり、そこも楽しいのですがここも捨てたものじゃありません。
ここではクリムトの絵画‘ヌード‘を観ることができます。
2012年5月にウィーンに滞在した時、私は初めてここを訪れました。この時は第一企画でウィンナオペレッタの企画展をやっていて第二企画はアントン デルモータの特別展でした。デルモータの名前はオペラのオールドファンならお馴染みでしょう。
戦後の有名なウィーンのモーツァルトアンサンブルを支えたリリックテノールの重鎮でした。フルトヴェングラーの指揮したザルツブルクの‘ドン ジョバン二‘の映画ではドン オッタ―ヴィオを歌っておりました。
この映画はある年齢より上の世代の方ならご覧になった方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。第二次世界大戦後まもなくのウィーンのリリックテノールといえばこの人しか思い浮かばないほど活躍いたしました。
そのハイライトが1955年11月の戦災から再建、復興されたシュターツオーパーの杮落しの‘フィデリオ‘でした。デルモータはフロレスタンでした。
この日は劇場に入れない人たちが劇場前の広場に設置されたテレビを観て感激の涙を流したそうです。
デルモータ自身も名誉と誇りを覚え打ち震えたに違いありません。因みに指揮は壮年期のベーム、レオノーレがメードル、ドン ピツァロがシェフラー、ロッコにウェーバー、マルツェリーナにゼ―フリート、ヤッキーノはクメントでした。
さて私が観た2012年のデルモータ展ですが展示内容は詳しく憶えていないのですが‘魔笛‘のタミーノの白い衣裳が展示されていたのは憶えています。それとデルモータが出演したテレビ映画を上映しておりました。エリック ウェルバや細君の伴奏でR シュトラウス、シューマンのリートを歌っておりました。
旅先の解放感からか私は一人でなんと2時間もその映画を観ておりました。
このデルモータという歌手はとてつもない才能を持ちながら謙虚な人だったようです。
いくつかの粋な逸話があります。
‘フィデリオ‘のテノール役といえばフロレスタン、ヤキーノ、第一の囚人役があります。
デルモータはそのどの役もウィーンで歌っています。フロレスタンは46回、ヤキーノは36回、第一の囚人は2回です。第一の囚人は軽い役ですから駆け出しのころかと思いきやなんと1979年で69歳の時です。
往年の名歌手を脇で使ういわゆる‘ご馳走‘とも言えますがそれとはいささか事情は違うようです。それは他にも端役をウィーンで引退の寸前まで演じているからです。
‘薔薇の騎士‘の歌手を114回、‘エウゲニ オネーギン‘のトリケを19回、‘アラベラ‘のエルメルを11回、‘タンホイザー‘のワルターを44回、‘トリスタンとイゾルデ‘の若い水夫を59回です。特にこの中でワルターと若い水夫は最終回は引退の1年前です。
明らかに最後まで貴重な戦力だったことが分かります。
デルモータはウィーンの首脳陣に軽くこう言ったのかもしれません。
「よう!次の俺の役は何だい?薔薇の騎士の歌手だって。うれしいね。ちょうどやりたかったところだよ。飛び切り美人のマルシャリンで頼むぜ。」と。
1981年にデルモータの引退公演がありますが、ウィーンのシュターツオーパーの首脳陣は71歳の老テノールになんと‘魔笛‘のタミーノをやらせます。
声がまだあったというのもさることながら何でも文句を言わずやってくれた大テノール歌手への感謝の花道だったのでしょう。もしかしたら私が見た展示されていた衣裳はその時の公演の衣裳だったのかもしれません。
またウィーンシュターツオーパーがロンドンへツァーに出た際‘ドン ジョバン二‘を上演しました。
デルモータはドン オッタ―ヴィオを歌う予定でしたがユダヤ人故に戦前にウィーンからロンドンに逃れたリヒャルト タウバーにその役を譲ったのだそうです。
既に癌に冒され余命いくばくもないウィーンの人気者だったタウバーに花を持たせたかったのでしょう。
話は変わりますがある演出家と‘魔笛‘についてお話しする機会がありました。
彼曰く「タミーノは世間知らずの若様だ。生意気で鼻持ちならないやつだ。そいつが色々な経験をして少しずつ成長する。その成長の物語だと思うよ。生意気で自分のことしか考えないテノールの役にはうってつけだよ。」と。
その演出家の説に従えばデルモータはあまりいいタミーノにはなれませんが引退公演を含めてウィーンでは169回も歌っています。
歌にはその人の性格から生活まですべてが表れてしまうと言われています。
デルモータが歌うリートに虚心に耳を傾けてその人となりを想像してみてください。
Ein Liederabend mit ANTON DERMOTA
シューマン 詩人の恋、モーツァルト、ブラームス、ヴォルフ、R シュトラウスの歌曲
アントン デルモータ (T) ヒルデ デルモータ (Pf)
PREISER 中古CD 1500円 スタジオ録音
水車屋の娘はデルモータが一番好きです。