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ヘルマンとフリッツ

1966年7月、バイエルン国立歌劇場ではモーツアルトの名作、魔笛が初日の幕を開けました。序曲が始まり舞台の袖の暗がりでは既に出番の3人の侍女が幾分緊張しながら待機していました。そこへパパゲーノ役のバリトンが鳥人間の衣裳でやってきました。
確かパパゲーノはスタンバイの場所が違うはずです。パパゲーノは言いました。「タミーノの肖像を持っていたらちょっと貸してくれないかな。」
侍女の一人がうんざりして「もうすぐ出番なのよ。邪魔しないでちょうだい!」と邪険に答えると袖の暗さがパパゲーノの不安を煽ったのかしつこく「お願いだよ。頼むから出しておくれよ。」と泣き出さんばかりに言うので第3の侍女がため息交じりに小道具の小さな肖像を出して渡すと素早く何かを剥がして「ありがとう。助かったよ。」言いながら返しました。彼女たちは何が何だか分からなかったのですがとにかく舞台に集中しなくてはいけないのですぐにこのことは忘れました。

この日のパパゲーノはヘルマン・プライ、タミーノはフリッツ・ヴンダーリヒでした。
楽譜上では3番ですが1幕でタミーノがパミーナの小さな肖像画を見ながらその美しさに感動してアリアを歌います。プライがこだわったのはこの肖像画なのです。

楽屋落ちの話ですがこの小道具の肖像画にいたずらでよくエロ写真を貼っておくのだそうです。この日プライもタミーノが友達のヴンダーリヒですから自分のしかめっ面の写真を貼っておきました。ただ本番の時間が近づくにつれタミーノのヴンダーリヒがそれを見て思わず吹き出して歌えなくなったらどうしよう、そうなったらあいつに死ぬまでそのことで責められると考えたのだそうです。こうなるともういけません。そこで序曲が始まっているにもかかわらず袖に飛んでいったわけです。そしてこの日なんとヴンダーリヒは珍しくこのアリアの最高音Asの音を外したんだそうです。「鶴亀。鶴亀。」とプライは心の中で呟いたことでしょう。

しかし悲しいことにこの年の9月にヴンダーリヒは事故であっけなく亡くなってしまいます。プライは親友の死を悲しみながらたとえ一生お前のおかげでAsを外したと言われたほうが死なれるよりもはるかにましだと思ったのではないでしょうか。
プライも彼岸に渡り今頃はあちらで魔笛をやっているかもしれません。もちろんタミーノはヴンダーリヒ、他のキャストも選び放題でしょう。

さて今回ご紹介いたしますのは1964年のミュンヘンでの魔笛です。プライとヴンダーリヒの共演は1958年から1966年の期間かなり多かったようです。
ライブ録音では1962年のエウゲニ・オネーギン、1965年の椿姫が有名です。
この魔笛ではヴンダーリヒが絶好調です。彼のためにこの役があるような出来です。プライは彼のことをあんなにアンサンブルがやりやすい声はなかったと言っていますが確かに
このCDで聴き逃すことができないのがタミーノ、パパゲーノ、3人の侍女による5重奏の見事さです。第3の侍女にはオーストリアの名アルト、マラウニクが出演しています。
実際にこのオペラをおやりになった方はお分かりになると思いますがこの3人の侍女は難しい役でかなりの歌のセンスと演劇のセンスが要求されます。
他のキャストはパミーナはローテンベルガー。この人もヴンダーリヒ、プライと共演が多かった人です。夜の女王はケートです。当時のドイツではこの役はこの人の専売特許みたいなものでした。

モーツアルト 魔笛  1964年 ミュンヘンライブ

ザラストロ/コーン タミーノ/ヴンダーリヒ 夜の女王/ケート
パミーナ/ローテンベルガー パパゲーノ/プライ パパゲーナ/フリードマン
第1の侍女/ヒレブレヒト 第2の侍女/ナーフ 第3の侍女/マラウニク
弁者/エンゲン モノスタトス/グルーバー 他

リーガー指揮 バイエルン国立歌劇場オケ、合唱団

GOLDEN Melodram 中古CD 3300円

 

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