もう1カ月経ちましたが二期会の運命の力を観てまいりました。
私が観たのは9月6日です。過去の我々のオペラにご出演いただいたイ・スンジェさんがレオノーラ、室岡大輝君がメリトーネで出演していました。
歌手の皆さんは大変な健闘でヴェルディのこの難しいグランドオペラをしっかり聴かせてくれました。心より拍手を送りたく思います。
ただ歌手たちの奮闘にも拘らず印象は最悪でした。その問題の大部分はパウントニーの演出にありました。
SNS等で皆様のご意見、感想を拝見いたしますと概ね好評で「見通しの良い演出」とか「このオペラの本質を抉る内容」という論調が目立ちました。
果たしてそうだったのでしょうか?
私の率直な感想は気持ち悪くて陳腐という感想でした。
その理由をご説明しましょう。
何よりも嫌だったのは合唱の扱いです。
まるでヒトラーユーゲントや紅衛兵のように制服を着て聖書らしきものをかざして後進する様は何の意味があったのでしょう?
理解に苦しみ生理的嫌悪しかなくてこんなもの観たくありませんでした。
それと冒頭にカラトーヴァ侯爵が暴発したピストルで亡くなりますがその飛び散った壁の血痕を執拗に場面ごとに見せていました。
消すことが出来ない陰惨な記憶の象徴なのでしょうが汚いものでした。
汚いものは舞台上であまり観たくありませんしあまりに説明的で興醒めです。
この二点はどうしても許せない点でした。
解釈面ではカラトーヴァ侯爵とグァルダーニョ神父を同じ歌手に二役歌わせておりましたが、これはレオノーラがオイディプスコンプレックスで結局は父のもとに帰るという解釈で斬新で面白いと感じました。
ただクーラとプレツィオジッラを同じようにしたのは解せませんでした。
「運命の力」だからプレツィオジッラを運命の女神のように扱い侍女のクーラも駆け落ちの手助けをして運命に加担しているとの解釈でそうしたのだと推測できますがあまり成功していませんでした。牽強付会なのです。
そして運命の女神の恰好をさせて舞台に出すのは余りに陳腐でバックスクリーンに運命の歯車を写すのも説明的でダサいものでした。
プレツィオジッラは役自体そう強い存在感がありませんので彼女を狂言回しのようにするにはかなり強引な手法を施さないと無理です。
今回それをやり見事に外したケースだと思います。
それと決闘の場でドン・カルロがやる剣を押し戴いて地に置き並べるのはどこの習俗なんでしょう?創作だとしたらやめたほうが良いような気がします。
観ていてこちらが恥ずかしくなりました。
いずれにしてもこの演出は私にとりましてつまらなくて腹の立つものでした。
指揮は八嶋恵利奈という若い女流指揮者でした。欧米でキャリアを積んで今回が日本デビューだったそうです。こちらの評もおおかた好意的でした。
ただ正直申し上げてそのバトンはかなり分かりづらいものでした。
拍が分かりにくいということはアンサンブルには致命的です。聴いた感じですとダイナミックに鳴らすところは良いのですがアンサンブルになりますと途端に合わなくなり音楽が痩せます。
オペラは舞台上でもピットの中でもそして舞台の上と下でもアンサンブルの塊と連続です。
バトンテクニックがあり分かりやすい指揮をする人が音楽的に優れているとは一概には申せませんが、自己の音楽的主張を分かりやすく伝える技術は最低限必要でしょう。
彼女が今後どう活躍するか予想できませんが少なくともオペラで起用されるのは余りないような気がします。
このようにいろいろな問題を抱えた上演と言わざるを得ませんでした。
二期会は演出プランを外国からそのまま買ってくるケースが目立ちます。
それが悪いとは申しませんがよく吟味していただきたく思います。
果たしてこれを見せたら日本の聴衆がどう思うかということをよく考えて欲しいのです。
いくら高名の演出家だろうがクズ演出はクズです。
欧米で受けようが日本で外す場合も多いでしょう。
でも今回は好評だったではないかと反論もあるでしょう。確かにそうでした。
しかし本当の大人のファンは沈黙したまま見限るのです。
今回は会場が新国オペラパレスで私の席は2階の正面でしたが周囲に客が数えられるほどしか居りませんでした。この現実は認識したほうがいいでしょう。
藤原歌劇団が昔日の勢いが無い現在、二期会には奮起を期待したいところです。













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