コラム

聴衆はそれを望んでいるか?

皆様は劇場でオペラや芝居をご覧のなる場合何を期待されるでしょうか?

役者や歌手の演技や歌声でしょうか?
美しいセットや衣裳でしょうか?
重厚なオケの響きでしょうか?

人それぞれでしょう。

共通しているのは美しくて感動できる気分が高揚するものを観たり聴いたりすることだと思います。
帰りに今日は何か美味しいものを食べて帰ろうと思わせるものです。
劇場は一場の夢を見る場所であります。
悪夢ではなくまた来ようと思わせる夢でなくてはなりません。これは制作側の義務であります。

さて昨今の日本のオペラ業界はそのことを心掛けているでしょうか?

残念ながら私は忘れていると思います。
人間の想像力は限られています。
そしてスタンダードなオペラの演目のイメージはほぼ固まっているものです。

しかし演出家は自分の演出意図、作品解釈に意味を付与するために時に理解に苦しむ舞台を造ることがあります。
何か自己の存在意義をアピールしなくてはいけないという強迫観念からか変な解釈をすることがあります。
それはほぼ外すことが多いのです。
細々と説明しなくては分からない演出はいただけません。

何故なら舞台は観るものであり説明するものではないからです。
説明しなくては分からないもの、説明を聞いても理解できないものはそれがどれほど高邁な理想の具現だとしてもクズ演出です。
要するに考え過ぎは良くないのです。

聴衆は何を望んでいるのでしょう?

簡単なことです。オーソドックスで分かりやすくて豪華な舞台です。
これは世界中どこへ行っても不変でしょう。

欧米の潮流がこうなのであるから流行の先端を味わい理解しなくてはならないという論理は専門で研究なさっている学者先生ならともかく普通のファンにはあまり関係がないことだとこの頃強く思います。

誰がパンツ一丁のフィリペや髑髏のお面をつけた合唱を観たいと思うでしょうか?
演じる歌手は果たしてその意図を理解しているのでしょうか?

まあこういった解釈もあるのだろうと自分を無理やり納得させて帰路に就く虚しさは何度も経験しましたがもう御免です。
分からないものは分からない。気持ち悪いものは気持ち悪いのです。

オーソドックスな解釈、舞台は古いという意見もあるでしょう。
ただ日本にはそれを時代遅れといえる伝統があるでしょうか?

例えば従来の解釈でちゃんとした舞台を観た経験がある方がどれほどいらっしゃるでしょう?
ある程度ご覧になっている方が新しい解釈の舞台を観るのはどう感じるかは別として意味のあることかもしれません。
ただあまり観たことが無い人が観るとしたらもうオペラは観たくないと思われても仕方のないことでしょう。

新解釈や読み替えを否定する訳ではありませんがこの頃あまりにひどいのであえて書きました。

オーソドックスな分かりやすい舞台を造りそこに演出家の思想を入れるのがプロの仕事だと思いますが如何でしょう?

 

 

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