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ベームの十八番

カール ベーム。
20世紀を代表する偉大な指揮者の一人です。

来日も数回致しましたので演奏会やオペラを聴いたオールドファンも多いのではないでしょうか。
彼の振るモーツァルトやブラームス、ベートーベンのレコードは今でもプロアマ問わず演奏家のお手本です。

またR・シュトラウスも彼の重要なレパートリーの一つでした。
R・シュトラウス自身の謦咳に接して親しく指導を受けた世代ですから人一倍思い入れがあるのは容易に想像できます。
そしてR・シュトラウスのオペラの中でもナクソス島のアリアドネは特別な作品だったのではないでしょうか?

そう申しますのは上演回数が抜群に多いのです。
私の知る限り音源は6つ、映像は2つあります。
これは氷山の一角で表に出ているのだけでこれだけあるのですからまだまだあるでしょう。

ザルツブルクでは30回、ウィーンで40回という記録があります。
これだけで70回です。
METでは1963年に数回振っていますし、1980年に来日した時も東京で振っています。他にベルリン、ドレスデン、ミュンヘン、ハンブルク、ロンドン、パリなどでも振っていると推測できますからかなりの上演回数であることが分かります。

何故そうなのか?

ベームはオーストリアのグラーツ出身です。グラーツの歌劇場を振り出しにミュンヘン、ダルムシュタット、ハンブルク、ドレスデン、ウィーンと渡り歩き修行を積みました。
欧州の指揮者になる道であります。

ちょうどR・シュトラウスが円熟の境地で傑作オペラを量産している時期がベームの修業時代でした。
R・シュトラウスは作曲家兼指揮者の根っからの音楽家でさらにドイツ文学にも通暁する一流の教養人でした。
彼の稽古に付き合いその謦咳に接してあらゆることを教えてもらったのでしょう。
ナクソス島のアリアドネのオーケストラの中のピアノパートを弾きこの作品を深く知り愛するようになります。(R・シュトラウスのピアノの使い方は絶妙です。)

ベームも回想録、「回想のロンド」の中で「ナクソス島のアリアドネが一番好きなことを告白しなければならない」と言っています。

ベームにとりまして修業時代の思い出の曲だったのです。
トスカニーニのヴェルディのオテッロのようなものだったのでしょう。
(トスカニーニはスカラ座のオケで老ヴェルディがオテッロの稽古を振った時にチェロを弾いておりました。その時、呼び止められて「君そこはもっと大きく弾いてくれ」と言われたことを生涯誇りにしていました。)

だからこそ稽古がただでさえうるさいベームがさらにうるさく厳しくなったのではないでしょうか。
歌手もかなりこだわり一流の人たちを選択しています。
残っている音源のキャストを観ますとそれがよく分かります。

遺っている音源、映像を調べますと私の知る限りではザルツブルクのライブが3種、ウィーンのライブが3種、正規のものが音源、映像が共に1種ずつです。
正規のDGの音盤がバイエルン放送響を使っていますが他はすべてウィーンフィルです。

最も古いのが1944年の戦時中のものでR・シュトラウスの80歳の生誕記念の演奏です。ライニング、ロレンツ、シェフラー、ぜーフリート、ノニなど当時として望みえる最高のキャストを集めています。
戦時中ということで世界中からキャストを集めることは不可能ですから良くも悪くもウィーンのローカル色がよく出ている演奏となっています。
壮年期のベームの気合が感じられます。

ライニングはパパクライバーの薔薇の騎士のレコードでマルシャリンを歌っています。ご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
ホフマンスタールとR・シュトラウスに最も信頼されたソプラノ歌手でした。
ノニは日本でもお馴染みのイタリアのソプラノです。
初期のNHKイタリアオペラ愛の妙薬でタリアヴィーニがネモリーノを歌った時のアディ―ナでした。
特筆したいのはコメディデラルテの4人の役者たちです。
ハレルキンのクンツ、スカラムッチョのサラバ、トルファルディンのラス、ブリゲッラのクラインです。まさに生粋のウィーンのアンサンブルでもうこの味は出せないでしょう。

戦後パージから解放されて満を持して1954年にザルツブルクで上演いたしました。
初役でデラ カーザがアリアドネで出演しバッカスがショック、ギューデンがツェルビネッタを歌っています。音楽教師のシェフラーと作曲家のゼーフリートは1944年と同じです。
ツェルビネッタを巧みに歌うシュトライヒがここではナイヤーデに回っています。

まだウィーンの歌劇場も再建されておらず苦しい時代でキャストもすべてウィーンかドイツの歌手達です。(ウィーンの歌劇場の再開は1955年)

1960年代になりますとアメリカの歌手達の起用が目立ちます。
バッカスのキング、トーマス、ツェルビネッタのグリスト、スコヴォッティなどです。
黒人ソプラノのグリストはモーツァルトのロールでもしばしば起用されベームが気に入っていたのが分かります。

作曲家もゼーフリートからユリナッチ、トロヤノスになっています。
アリアドネはリザネック、ヒルブレヒト、ルードヴィヒなどが起用されています。

正規盤はただ一つ1969年にDGでバイエルン放送響を使用して録音しました。
これにはF・ディースカウが音楽教師を担当しています。音楽教師としては少し偉そうですが舌を巻く巧さです。
正規盤は間違いなく後世に残ると踏んで満を持して起用したものと思われます。

1970年代に入りますとアリアドネにヤノヴィッツ、ツェルビネッタにグルヴェローヴァ、バッカスにコロ、作曲家にシュミット、バルツァを起用します。

グルヴェローヴァは従来のスーブレットではないツェルビネッタを創造しました。

このようにざっと見ましても起用された歌手たちを追いますとそのまま名歌手の変遷となります。

ベームは長寿で1981年まで生きていました。
死の前年には来日して東京でナクソス島のアリアドネを振っています。
グルヴェローヴァ、バルツァが出演しています。
余談ですがMETの1963年のシーズンにベームがナクソス島のアリアドネを振った記録があります。
リンカーンセンターに移転する前、旧METでビングの時代です。
ビングとベームはダルムシュタットの歌劇場で同僚でした。

回想録、「回想のロンド」の中でベームはアメリカ人の歌手たちの優秀さを賞賛しています。

因みに1963年12月29日のキャストを見ますとアリアドネがリザネック、バッカスがトーマス、ツェルビネッタがダンジェロ、音楽教師がカッセル、作曲家がマイヤーとなっています。
リザネック、トーマスはお馴染みですが、ダンジェロはジルダが当たり役のイタリアのソプラノ、カッセルはスカルピアとか歌ったアメリカのバリトン、マイヤーはスウェーデンのメゾです。

シーズン中数回上演されていますが多少キャストに入れ替えがあります。

音楽教師がシェフラー、アリアドネがデラ カーザ、バッカスがコーンヤになったりします。

ツェルビネッタも変わっていますがピータース、ドッブス、スコヴォッティとすべてアメリカ人です。
作曲家もミラーに替わっています。このミラーはワルターがニューヨークフィルと録音したマーラーの大地の歌でメゾのソロで起用されていたのをご記憶の方も多いでしょう。

前述のベームの回想録の中で薔薇の騎士のオクタヴィアンを完璧なウィーンなまりで歌ったアメリカ人のメゾのことが出てきますが誰とは書いていません。
私はこのミラーではないかと思っています。
この話には落ちがありベームはドイツ語でこのアメリカ人歌手に話しかけたところ「マエストロ。私はドイツ語を喋れませんので英語でお願いできますか?」言われたそうです。

ベームのドイツ語はグラーツのなまりがあり聴きづらかったと言われています。
多分この歌手もドイツ語が分からないのではなくてベームのドイツ語が分からなかったのではないでしょうか。

この1963年のMETのライブ録音がないか秘かに探しています。

私どもオペラバフでは2023年9月16日、17日にナクソス島のアリアドネを上演いたします。どうぞご期待ください。詳細につきましては順次お伝えしていきます。

 

 

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