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もしかして あなた?  2023年に「魔笛」を主催上演

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オペラバフは来年2023年に魔笛を主催上演いたします。どうぞご見物,ご高評よろしくお願いします。何故そうなったのか。それにはちょっと訳があります。
因縁話のようですがお付き合いください。

もう8年くらい前でしょうか、5月の連休の時ウイーンに遊びました。

春の楽都は天候にも恵まれ昼は美術館やカフェ、夜はオペラやコンサートと楽しく過ごしました。

その中のある日の昼下がり市電に乗ってセント・マルクス墓地に参りました。クラシック音楽がお好きな方でしたらもうお分かりかと思いますがここはモーツアルトが埋葬された所であります。

ただ墓標があるわけではなくここらあたりという場所に折れた円柱と嘆く天使の石像の記念碑があります。

レコード、CDのジャケットに写真が良く使用されますのでご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

ウイーンでは中央墓地が観光名所で観光客だらけですがここは人もまばらで落ち着いた良いところでした。

古い墓地で現在墓地として使用はされておらず新しい墓はなく古い墓だけ静かに並んでいます。

詣でる人も少ないのでしょうヨーロッパの墓地には入り口に必ず花屋がありますがここにはございませんでした。

葬られている有名人の墓の位置を表示する案内板がございましたが日本人にはほとんどわからない方ばかりでした。

さて私が何故ここを訪れたかと申しますとモーツアルトの眠っている所を訪れたかったのはもちろんですが魔笛のパミーナを初演したソプラノ歌手であるアンナ・ゴットリープの墓を探すことでした。

モーツアルトの記念碑はすぐわかりました。墓地正面のゆるやかな坂のメインストリートを歩きますとちょっと開けた日当たりのよい広場に出ます。そのすぐ左手にお馴染みの折れた円柱と嘆く天使像があります。

ここは世界中のモーツアルトファンが訪れる聖地ですから花壇もよく手入れされています。中央墓地の偉そうなモーツアルト像よりも好印象です。

確かにモーツアルトはここに眠っていると思いたくなるような所でした。ウィーンで休日をお過ごしになる機会がありましたら是非いらしてください。

この時も帰りがけで正面ゲートを出るとき多分アメリカン人の男性にモーツアルトの墓の場所を尋ねらえました。拙い英語で道順を説明いたしましたら泣き出さんばかりに‘アア
モーツアルト!‘と言いました。

 

 

横道にそれました。戻します。

モーツアルトの記念碑と比較しますとゴットリープ嬢の墓はメインの中央通路からすぐ左に入ったちょっと暗くて寂しい一画にございました。

半ば草に埋もれ埋没しかかった墓石もありちょっと気味の悪い場所でした。

まあモーツアルトのようにどこに埋葬されているかわからないよりはまだ墓石があるだけましなのでしょうか。

日本でも外国でもそうなのですが特定のお墓を探す場合同じ場所をぐるぐる回り結局最初にここだとあたりを付けた場所に見つけるという現象にあったことはないでしょうか?

ついさっき念入りに探したはずなのにどうしてだろう?なんて怪談のようなお話ですが私はよく同じような経験をします。ただお前が注意散漫なだけだと言われてしまえばそれまでですがこの時もそうでした。

同行したオペラバフのオーナーの尾城さんが「あるじゃない。これでしょ。」と指さした墓石はその前を何度も行きつ戻りつ横切った所でした。まるで私から隠れていたようでした。Anna Gottlieb 1774 4.19 Wien ✟1856 2.4Wien 間違いありませんでした。

モーツアルト最後の名作オペラ‘魔笛‘の初演は1791年9月30日ウイーンのアウフ デア ヴィーデン劇場で行われました。その時の初演歌手の記録が一部残っています。

パパゲーノは言わずと知れた座長で台本作者のシカネーダー、夜の女王のヨゼファ ウエーバー ホッファーはモーツアルトの細君コンスタンツェの姉妹でした。(姉か妹かは資料によりまちまちで判然としません。)

その中にパミーナ役でアンナ ゴットリープの名前があります。彼女は‘フィガロの結婚‘のバルバリーナの初演者でもあります。

1774年生まれですから17歳の時の舞台ということになります。

パミーナは17歳の少女が演じたのですね。ただ18世紀の17歳と言えばもう立派な大人だったでしょう。現代の物差しでは測れない早熟さがあったのではないでしょうか。

彼女はウイーンの芸能一家に生まれ5歳でブルク劇場で初舞台を踏み12歳の時にバルバリーナを演じました。

オペラをお好きならご存じのように‘フィガロの結婚‘の中のバルバリーナのセッコの中にはきわどい台詞が含まれています。これを12歳でもう理解していたのですね。

当時としては長寿で82歳まで生きました。

ただキャリアの頂点はやはり17歳でパミーナを演じた魔笛の初演だったようです。

それから65年も生きていたわけですがその後のキャリアはしかネーダーの一座でプリマを張っていたようです。魔笛も大ヒットしましたからもちろん元祖パミーナ、十八番として演じていたことでしょう。

キャリアはナポレオン線役で中断したりしたようですがその頃の俳優たちの例にもれず晩年は不遇だったようです。

1842年にザルツブルクでモーツアルトの記念碑の除幕式にゲストとして呼ばれ講演会をした記録があります。

もうその頃になりますとモーツアルトに直に接した舞台人は彼女しか残っていなかったようです。

さて彼女の墓を見つけて満足してリングまで戻りオペラ観たりカフェでボーとしたりして春のウイーンを満喫して上機嫌で東京に戻りました。

ある日いっしょに行ったオーナーが不思議な話をしました。同じ夢を見るというのです。

それは舞台の袖に居て舞台を見ながら出番を待っている夢なのだそうです。

それもシチュエーションがまるで同じなんだそうです。舞台では何が演じられておるかはよくわからないのですが軽いオペレッタのようなもののような気がするとのことです。

オーナー曰く「多分連れてきちゃったのかもしれない。」

ゴットリープ嬢ははるばる極東の島国までご旅行とのことです。

一週間ほどで夢はみなくなったようで「どうやらお帰りみたい。」と言っていました。

不思議なことってあるものですね。花も持たずに興味本位で墓など探すものではありませんね。

多分、ゴットリープ嬢としては「あら、私に興味がお有り?でもお花もくれないの?失礼しちゃうわ。

それだったら日本に連れてってちょうだい。日本へ一度行ってみたかったのよ。だってタミーノは日本の王子様でしょ?」こう思ったのかもしれませんね。

ですから霊感の強い方はどなたかのお墓に詣でるときはお花をお忘れなく。

さてこの小文の題は‘もしかして あなた?‘です。

何故かと申しますとこの夢を見てから

尾城さんは魔笛を上演したいと思うようになりました。

これはゴットリープ嬢が「魔笛やってね!」と尾城さんに囁き続けていたのかもしれないからです。

そして遂に2023年2月に魔笛上演が実現いたします。ゴットリープ嬢の執念かとも思うのです。
話は変わりますがロンドンのミュージカル劇場で幽霊の出る劇場があるそうです。

19世紀の衣裳を着て客席に座っていたり通路に立っていたりするそうです。

この幽霊が出るとその興行は大入り満員が続くんだそうです。

もしウイーンからはるばる我々の魔笛にゴットリープ嬢が駆けつけてくれれば満席札止めは間違いないでしょう。

ウイーンに行く機会がありましたら今度こそお花を持って彼女にお礼に行くつもりです。

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