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セリムのハーレムの位置

モーツァルトのジングシュピール「後宮からの誘拐」の舞台となっている土地について考察してみました。

セリムはオスマントルコの太守であります。
太守はパシャと呼ばれました。
太守はその地域の総督で皇帝の連枝や高官が中央から派遣される場合とその地方の権力者がオスマントルコに従属してそのまま太守になる場合があったようです。

セリムはどうだったのでしょう?
台本ではセリムはキリスト教から改宗してイスラム教徒になったという設定になっています。
これは大きなヒントです。

まず皇帝の連枝や高官であればまずキリスト教から改宗することは考えられません。
もっともオスマントルコは他宗教にも寛容で迫害はされないものの皇族がキリスト教徒である可能性はほとんどないでしょうし高官もイスラム教徒でなければ立身出世はできなかったでしょう。

そう考えますと帰属した地方有力者という説が有力になります。
便宜上そうする必要に迫られての改宗もあり得たでしょう。

セリムは地方権力者がオスマントルコに帰属してそのまま太守になったと考えるのが自然なようです。

ではそれはどこでしょう?

セリムの登場は舟遊びから帰ってくる設定となっています。
舟遊びが出来るということは海沿いということになります。
トルコの地理上の海とはどこでしょう?

地中海、黒海、ボスポラス海峡などがすぐ浮かびますが帝都イスタンブールの近辺ではないでしょうしその奥の黒海沿岸もスペインからブルモンテが船でやってくるのは現実味がありません。

これは地中海でスペインに割と近い北アフリカ沿岸と考えるのが妥当でしょう。
地図を見ますとスペインの対岸はアフリカで近いのです。
ベルモンテがトルコ本国まで遥々航海するとは考えにくいのです。

台詞の中にオランという地名が出てまいります。オランとは二頭のライオンという意味らしいのですがこれはアルジェリア北西部の港町で実在いたします。
カミュの「ペスト」の舞台としてご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
またイヴサンローランの出身地でもあります。

この町はスペインとオスマントルコの争奪戦の舞台でした。
セリムはオランの司令官ロスタドスに酷い目にあわされたと言いますが多分この町を支配していたのを彼によって追放されたのでしょう。

どうやらオスマントルコの手を借りて巻き返し北アフリカの一都市の太守に収まっていたのではないでしょうか。その町がどこかは分かりませんがアルジェ、トリポリ、チュニス、ベンガジなど候補地はかなりございます。

オスマントルコの時代はこの地方は海賊のメッカだったようです。
コンスタンツェ、ブロンテ、ペドリロの乗った船が海賊船に拿捕され奴隷として売られたという設定ですがこの北アフリカ沿岸の都市にも奴隷市場はあったのでしょう。

一時期オスマントルコの海軍は地中海を支配しておりました。
帰属した太守たちの海賊はそのままオスマントルコの海軍の戦力でした。
もしかするとセリムも海賊の一大勢力を束ねていたのかもしれません。

結論は北アフリカの地中海沿岸のどこかの都市ということです。

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