次回オペラバフが上演いたしますのはトマ作曲のハムレットであります。
以前にも書きましたがトマは生前19世紀フランス楽界に君臨し絶大な権力を握っていました。
フランスグランドオペラの伝統を墨守して気鋭の革新派の作曲家からは頭の固い守旧派と軽く見られていたようです。
陳腐なオペラを量産する時代遅れの人というのが同時代の音楽家たちの彼に対する評価でした。当時のパリの音楽界はヴァーグナーの音楽の刺激で沸き立っておりましたので猶更そのように思われた節があります。
ただ現代の我々にとりましては彼の代表作ミニヨン、ハムレットは一世を風靡したフランスグランドオペラの最良の部分を伝える作品であることは確かです。
観ていて分かりやすく耳に心地よく、大合唱、バレエが出演する豪華で美しい舞台など正に華の都パリのオペラです。
これをマンネリで陳腐というのは簡単でしょう。
ただ現代日本のオペラファンにはそう判断できる基準があるでしょうか?
ここは虚心に鑑賞して見るべきでしょう。良いと思えば儲けものです。
19世紀のフランスは我々日本人にとりましては知らないことだらけです。
それはオペラも例外ではありません。
さてこのハムレットの中で唯一有名な曲があります。
それはオフィーリアの狂乱の場のアリア「私も仲間に加えてください」です。
このアリアはソプラノ歌手がコンサートでよく歌います。
お約束でヒロインが死ぬ前に狂って歌うというものでソプラノ歌手の聴かせどころで独り舞台です。
作曲家のトマも心得たものでプリマドンアが出来るだけ目立つようにそして自由に歌えるように書いています。自由度が高いということは指揮者が「ここはどうぞご自由になさってください。こちらで合わせます」とプリマに言う部分が多いということです。現実に4幕はほとんどオフィーリアの独り舞台です。
トマは初演のプリマドンアにかなり気を遣ったのではないでしょうか。
初演のオフィーリアはクリスティーネ ニルソンでした。
この人の名前を知ったのはもう一人のニルソンであるビルギット ニルソンからでした。1983年のMETの100周年記念ガラの映像の中でビルギット ニルソンはアンコールでスウェーデン民謡「私が17歳の時」を無伴奏で歌いましたがその前に「この曲を偉大なもう一人のニルソンに捧げます」と言いました。
1883年のMETの杮落としの公演はファウストでその時のマルガレーテがクリスティーネ ニルソンだったのです。
トマのハムレットの初演は1868年、パリのオペラ座でした。フランスはナポレオン三世の第二帝政時代、日本は明治維新でした。
クリスティーネ ニルソンはこの頃タレントでかなりの有名人でした。
ガストン ル ルーのオペラ座の怪人のヒロイン、クリスティーヌのモデルとも言われております。
波乱万丈の人生でスウェーデンの貧しい農家に生まれましたが亡くなる時はカーサ ミランダ伯爵夫人でした。ちょっとしたシンデレラストーリーと言えます。
ただ19世紀のヨーロッパ社会ではオペラ歌手の地位はそう高いものではありませんでした。それが伯爵夫人まで昇りつめたのですからかなりの根性と魅力があった女だったのでしょう。遺っているポートレートを見てもその目にはかなり強い意志が感じ取れます。
今も昔も芸能の世界で生きていくには気が強くなくてないけないようです。
同時代のプリマドンナにアドリーナ パッティが居ました。ライヴァル視していたかどうかは不明ですが面白いことにニルソンは録音にほとんど興味がなかったのか録音を遺しませんでした。
パッティは録音を遺しています。
オフィーリアはあまり好きな役ではなかったのかそれともオファーがなかったのかその後あまり歌っていないようです。
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