オペラバフのドン・ジョヴァンニで4月11日のタイトルロールを歌う岡野守さんが寄稿してくれました。
演者としてリブレットを深く読み込む技術は彼ならではです。
どうぞお楽しみください。
オペラバフ 制作
書かない作家?!ロレンツォ・ダ・ポンテ…No.4
今回はドンナ・エルヴィーラを取り上げましょう。みなさん、ドンナ・エルヴィーラって年齢は幾つくらいだと思われますか?ドンナ・アンナより上でしょうか?それとも下?同じくらい?
ドンナ・エルヴィーラはスペインのブルゴス出身の貴婦人です。ブルゴスはスペインの北部の街ですね。『ドン・ジョヴァンニ』の台本では、「オペラの舞台はスペインのどこか」としか書かれていないのでわかりませんが、たぶん、ブルゴスではないでしょう。ドンナ・エルヴィーラは侍女を連れて家を飛び出し、ドン・ジョヴァンニを追いかけてきたらしいことが想像できます。とすると、それなりの年齢でしょうか?
彼女の年齢を考えるのに、いくつかヒントがあります。まず第1幕第12場でドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオがドン・ジョヴァンニに、ドンナ・アンナの父の殺害者を探すのを手伝うよう頼んでいるところへ、ドンナ・エルヴィーラが割り込んで来るところです。ここでドン・ジョヴァンニはドンナ・エルヴィーラについて
とドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオに説明しています。”ragazza”という単語は「少女、未婚の女性」に対して使う言葉で、大人の女性には使いません。そして第2幕第9場でレポレッロがアリアの中で、こう話しています。
* 注)台本では ”a Masetto” となっているが、楽譜(ベレンライター版など)では “a Zerlina(ゼルリーナに)” となっている。
Fanciulla(娘さん)は現代の辞書では「(7歳から14歳くらいまでの)少女、娘;婚約者、恋人」とされています。私の持っているイタリア語(伊→伊)辞典だと「6歳から13歳まで」とあります。ちなみにイタリア語(伊→伊)辞典で “ragazza” を引くと「fanciulla」と出てきます(笑)。「人間五十年、下天の内をくらぶれば…」の時代でしたら(ヨーロッパも日本と同じくらいの平均寿命でした)fanciulla の意味する年齢はもっと下がるでしょう。
このセリフの1つ前の場面、第2幕第8場では、ドン・ジョヴァンニに化けていたレポレッロは、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、マゼット、ゼルリーナに囲まれて殺されそうになり、命乞いをしています。その後、自分はドン・ジョヴァンニではなくレポレッロだと明かすことで、さらに貴族のドンナ・エルヴィーラを騙していたことが知られます。マゼットはレポレッロにめった打ちにされたと思っていますから、ゼルリーナと共に怒り心頭です。
この危機的な状況で、貴族の女性に対し「fanciulla(お嬢ちゃん)」と言えますか?これは失礼でしょう。ここは「madama(マダム)」と呼ぶべきです。”ふざけて”、もしくは”皮肉で”発言できる状況でない以上、ドンナ・エルヴィーラは本当に幼く見えるのだろう、と想像できます。
第1幕第12場において、ドンナ・エルヴィーラと初対面のドンナ・アンナとドン・オッターヴィオに、ドン・ジョヴァンニが「ragazza(娘さん)」と彼女のことを説明して話が通るのも、彼女が女の子に見えるからなら納得です。レポレッロの有名なアリア「Madamina, il catalogo è questo(お嬢ちゃん、これがカタログです:カタログの歌)」の前のレチタティーヴォでも、ドン・ジョヴァンニがそばに居る時は、ドンナ・エルヴィーラに、
と「Madama(マダム)」と呼びかけています。自分の主人と同様にお貴族様ですからね。ところが主人がいなくなると、「Madamina(小さいマダム→お嬢ちゃん)」と子供扱いです。もちろん、この場ではアイロニーも入っていると考えられますが、オペラ全体を通して小さい子のように扱われているのも事実でしょう。
このオペラでは、時代設定はされていませんが、この当時のオペラでは未来の設定はありません。モーツァルトやダ・ポンテの生きた18世紀より前を考えるべきです。その頃のヨーロッパの結婚は教会が認めるものであり(カトリックにおいては秘蹟の一つ)、教会法で結婚できる年齢が決まっていました。男性は14歳、女性は12歳からです。実際には、この年齢で結婚するには、親権者の同意が必要で、同意なしで結婚できるのは(貴族男性なら?)21歳からというのが、一般的だったようです(国により、時代により、また社会的階層により、違いはありました)。
ちなみに同時代のマリー・アントワネットは14歳で、夫のルイ16世は15歳で結婚しています。マリー・アントワネットのお姉さんでナポリ王と結婚したマリア・カロリーナは、16歳で結婚しています。『赤とんぼ』ではありませんが「姐(ねえ)やは、十五で嫁に行き…」は普通のことだったのです。
とすれば、14~16歳の貴族の女性をお子様扱いにはしないはずなので、ドンナ・エルヴィーラはそれより(少なくとも見た目は)幼かったのでは?と考えられます。最終幕でドンナ・エルヴィーラは修道院に入る、と言っていますので、カトリック教徒のはず。とすると教会法を破って結婚を考えるとは思えないので12歳には達しているでしょうか。とすると12歳から13歳くらい?としても、問題はなさそうです。(実年齢23歳、見た目は12歳…かもしれない?!…笑)
私の経験では、ドンナ・エルヴィーラはやや年齢を高めに設定している舞台が多いようです。それが間違いなわけではありません。ただ、実はいろんな読み方ができる台本なのです。なにせダ・ポンテは全部を書いてくれません(笑)。ただ、他にも「この書き方は?」と思える箇所がいくつもあります。それはドンナ・エルヴィーラが幼い証拠にはならないのですが、やはり可能性は考えられるように書かれています。そのあたりは、次回に!
岡野 守 プロフィール
バス・バリトン。イタリア・モデナ在住。
早瀬一洋、Arrigo Pola、Carmela Stara、Luciano Berengo、Giuliana Panza に師事。
ペルゴレージ作曲『奥様女中』(Uberto)、モーツァルト作曲『ドン・ジョヴァンニ』(Leporello)、『コシ・ファン・トゥッテ』(Don Alfonso)、ロッシーニ作曲『セヴィリアの理髪師』(Don Bartolo)、ドニゼッティ作曲『愛の妙薬』(Dulcamara)、ヴェルディ作曲『運命の力』(Fra Melitone)、ビゼー作曲『カルメン』(Dancairo)、プッチーニ作曲『トスカ』(Il Sagrestano)、『ジャンニ・スキッキ』(Gianni Schicchi)、『トゥーランドット』(Ping)等を歌っている。藤原歌劇団団員。
オペラを中心に声楽家として活動していたが、師匠たちから「お前は、私の知らないことばかり知っている!」「Musicologo(音楽学研究家)もやれ!」と言われ、良い気になって、雑学的音楽コラムを書き始める。














この記事へのコメントはありません。