ロッテ レーマン。
この名歌手の名も若い人たちはほとんど知る方はいらっしゃらないかもしれません。
現在音楽大学で教えていらっしゃる声楽家の先生たちの先生の世代の先生方が辛うじて
御存知かもしれません。
中には晩年の彼女にアメリカで教えてもらった幸運な方もいらっしゃるかもしれません。
ロッテ レーマンは20世紀を代表する名歌手の一人です。
私はドイツリートの名手として知りました。
特にワルターが伴奏して録音したシューマンの詩人の恋と女の愛と生涯はオールドファンにはなつかしいレコードではないでしょうか。
オペラであればこれもワルターの指揮で録音したヴァルキューレの1幕を思い出す方もいらっしゃるでしょう。ジークリンデを歌いました。
※1935年ウィーン録音のヴァルキューレ1幕です。ワルターの指揮でレーマン、メルヒオール、リストが歌っています。
女声歌手でシューベルトの冬の旅と美しき水車小屋の娘の全曲を初めて録音した人でもあります。
1888年ドイツのぺルレベルクに生まれ1976年にアメリカのサンタバーバラで亡くなりました。墓はウィーンの中央墓地の名誉墓地にあります。
R・シュトラウスのナクソス島のアリアドネの現行版の初演は1916年の秋にウィーン宮廷歌劇場で行われました。雪辱戦を挑んだわけです。
1916年と言えば第一次世界大戦中でした。
そろそろ総力戦の恐ろしさを各国民が自覚し始めた頃でしょう。
この年に若いレーマンはハンブルクからウィーンに移籍しました。弱冠28歳でした。
オペラ歌手としてキャリアアップしたのですからうれしいはずですがレーマンはウィーンに当初あまり馴染めなくてホームシックになったようです。
プロイセンの女であるレーマンにとりましてウィーン人はあまり理解できなかったようです。
何でも率直に口にしてしまう直情径行の娘だったレーマンはウィーンの何とも言えない緩さや遠回しな皮肉が嫌だったのでしょう。
ハンブルクでは少しは名の知れた歌手であってもウィーンでは新人に過ぎません。
当時のウィーンのシェフはフランツ シャルクでした。
このシャルクと言う人はいつも皮肉な笑いを浮かべていて何を考えているかわからない典型的なウィーン人だったようです。レーマンも結構いじめられたようですがシャルクは若い人を滅多にほめたりしない人でしたので特にレーマンがどうとかではなかったのでしょう。
逆にハンブルクから来た新人の非凡さを見抜いていたのかもしれません。
何故ならナクソスの初演の棒は彼でした。
ただレーマンは自伝の中でシャルクからはいろんなことを学んだと言っています。
今まで正しいと信じて歌っていたことが間違っていたことを教えてくれたと言っています。
そして当時のウィーンは一流の歌手たちが集まりしのぎを削っていました。
新人のレーマンにとってかなりの刺激であり勉強になったことでしょう。
スターたちの中に入りそれなりに自分の役はこなして小さな成功はあるもののあまりパッとしなかったようです。
実力はあるのになかなかレギュラーになれないプロ野球の選手のようなものだったのでしょう。
プロは厳しい世界です。
R・シュトラウスが序幕を書き上げてナクソス島のアリアドネの現行版をウィーンで初演することになりレーマンもスタッフの中に入りましたが作曲家の控えのアンダースタディだったようです。
ただ楽譜を読んでみるとこの役が驚くほど自分に合っていると思ったそうです。
レーマンは直情径行で思ったことはすぐ言ってしまう人であまり空気を読むことをしない人だったようでその意味でこの役は自分自身と重なる部分が多かったのでしょう。
作曲家はグートハイル ショーダーが予定されていました。
この人はもう忘れられた過去の人ではありますがマーラーに天才と言わしめた優れたソプラノだったようです。
ウィーンにはグートハイル ショーダー ガッセという通りがありますから有名な人だったのでしょう。
シェーンベルクのモノオペラ、期待の初演者でもあります。
晩年はザルツブルクのモーツァルテウム音楽院で教えておりました。アメリカの往年のメゾソプラノ、リーゼ スティーブンスが教え子のひとりでした。
芝居も上手く頭のある人だったのでしょう。
このショーダーが風邪で降板してアンダーのレーマンに作曲家が回ってきたのです。
もとより気に入った役でしたから歌ってみると稽古に立ち会ったR・シュトラウスが大層ほめてくれたようです。多分シャルクは薄笑いを浮かべていたことでしょう。
※ウィーンの古いライブ録音を集めたシリーズです。これにはR・シュトラウスのアラベラ、ナクソス島のアリアドネの断片と平和の日の全曲が収録されています。
初演のメンバーはアリアドネがイエリッツア、ツエルビネッタがクルツでした。
初演のあくる日の新聞にはこう載りました。「昨夜、夜8時30分、全ウィーンがレーマンという名前を知った」
レーマンのウィーンの名誉墓地に眠るまで続くヴィクトリーロードはここから始まりました。
※ロッテ レーマン 生誕125周年記念アルバムです。
※ロッテ レーマンの自伝、歌の道なかばに です。
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