(写真撮影:熊澤幸生)
令和四年九月、エリザベス女王が崩御されイギリスでは厳粛な国葬が執り行われました。
各国の元首が勢ぞろいした様子は壮観でありましたが、私はこれを見て今上陛下のご即位の饗宴の儀を思い出しました。
それは日本の歴史の重みを感じることが出来る素晴らしい機会ではありましたが同時に少し寂しい気持ちを覚えました。
私は縁があってクラシック音楽という文化遺産にかかわることを生業としております。西洋文化の巨大さに圧倒されるばかりなのですがそれ故にわが祖国、日本というものを意識するようになりました。
誤解を恐れずに言うならば我が国の数ある美点の根源は皇室を敬い守ってきた伝統にあると思います。
なぜこのようなことを申しますかといいますとオペラには王様や貴族が沢山出てまいります。日本人として皇室に対する尊敬や親近感を持っていますと皮膚感覚としてとてもオペラを理解しやすくなるように感じるからです。
あらゆる意味で「西洋文化の粋」の一つがオペラです。何百年もの間、世界中の人を惹きつけてきました。私もその一人です。
魔笛は西洋文化の根幹を成すキリスト教世界からやや距離を置いた作品ではありますがそれだけにキリスト教普及以前の、古き民衆の息遣いを感じることが出来ます。
物語は王子タミーノのザラストロに対する敵対心が正反対の価値観に転換する構造です。
価値観が揺さぶられ、迷い、戸惑い、揺れ動く人の心がモーツァルトの音楽で描かれます。
それは時にか弱く、時には信じられない力を発揮する揺れ幅の大きなものです。
人間というものは真っ直ぐな気持ちだけでは割り切れないものです。嘘をついたり、見栄を張ったり、傷つけてしまったり、要するに不完全な存在です。
不完全ではあるけれど愛すべきもの。それは人の心です。
モーツァルトは限りない愛情を注いで心のドラマを音楽で表現しました。
(写真撮影:熊澤幸生)
さて将来のことは分かりませんが、現代のオペラ界では大枠でモーツァルトの時代の18世紀を分かれ目としてそれ以前のバロック時代とそれ以降の作品では、歌手や演奏者の専門性が違うとされています。演劇や映像作品の時代劇と現代劇の違いに近いイメージでしょうか。
モーツァルトをバロック時代からの到達点と捉えるか、ヴァーグナーや二十世紀作品の出発点と認識するかは置くといたしましても、この大作が後のウエーバーの「魔弾の射手」、ヴァーグナーの諸作品、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」、R・シュトラウスの「影のない女」などに影響を与えたのは明らかでしょう。
モーツァルトの生き生きした音楽、歌、芝居が一体となった人間ドラマを会場でお楽しみいただければ音楽家としてこれに過ぎる歓びはありません。
中橋健太郎左衛門
※写真撮影:熊澤幸生
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