19世紀以降の軍服を衣裳として使用するオペラの演目は何があるでしょう?
連隊の娘、愛の妙薬、カルメン、エフゲニ・オネーギン、スペードの女王、運命の力、アラベラ、戦争と平和、ヴォツェック、蝶々夫人、思い浮かべますと随分あるものです。
19世紀の軍服はこれが実用に供されたのかと疑うほど華麗で美々しく将校たちはそれを粋に着こなすことに常に心掛けておりました。
特にナポレオンのグランダルメの将校たちはこの傾向が強く軍帽のトリコロールの羽飾りが欧州を席捲しました。
私は小学校6年生の時`ワーテルロー‘という戦争映画を観ましたがフランス軍の青に対してイギリス軍の赤というナポレオン戦役当時の軍服の美しさに驚かされたのを憶えております。
映画の中で遠くの稜線上に現れた部隊を望遠鏡で眺めてクリストファー・プラマー扮するウエリントン公爵が「プロシャの黒か?フランスの青か?」と副官に詰問する場面がありますが当時の戦争は目立つ色で旗幟鮮明にして行動するのが一種の美学だったのでしょう。
ワーテルローの戦いではプロシャ、フランスいずれかの遊軍が先に主戦場に到達するかが勝敗の分かれ目だったことは歴史のお好きな方ならご存じでしょう。
20世紀の第一次世界大戦以降、軍服は実用本位のくすんだ地味な色になります。
赤や青のきらびやかな軍服は狙撃の標的になり著しく不利となるからでした。
舞台で映えるのは19世紀の軍服であるのは言うまでもないことです。
製作の予算の問題、演出の時代設定の読み替えでよく20世紀の軍服を着たドン ホセやフェランドを観ることがありますが私は好きではありません。
舞台が暗くなりますしご年配の方は戦時中の情景を連想される方もいらっしゃるでしょう。
舞台が一場の夢であるならば美しくあるべきでしょう。
中国共産党の抗日劇のようなオペラの舞台は観たくありません。
前置きが長くなりました。
マッテオとはR シュトラウスの`アラベラ‘に登場する直情径行な青年将校です。アラベラに一途に恋していて気も狂わんばかりでアラベラの弟が実は妹で自分に惚れていることすら気が付きません。階級は中尉ぐらいでしょうか。
衣裳はホフマンスタールの台本の設定が1860年のウイーンですからハプスブルクのフランツ ヨーゼフ帝のオーストリア帝国陸軍の軍服です。
19世紀半ばのオーストリア帝国陸軍の軍服と申しましてもほとんどの方がイメージできないのではないでしょうか。
ヒントとなるのは好んで軍服を着用していたフランツ ヨーゼフ帝の肖像画や写真であります。
さらにミュージカル`ルドルフ‘が大ヒット致しましたのでご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますがその中で皇太子ルドルフが着ていた軍服も参考になるでしょう。
水色で金ボタンが並列で左右に8個ずつのダブルで詰襟の上着でズボンは紺で赤のサイドラインが入っていたはずです。襟と袖の折り返しは赤地に金の刺繡が施されています。
文字で表現しても美々しいものです。
皇族が着るのですから当たり前ですがこの水色の軍服は将官の軍服でした。
皇太子フェルナントはこの軍服を着用している時に暗殺されました。
もう一つ同じデザインで白い上着があります。これは儀式の正装用です。この場合はズボンは赤で金のサイドラインが入っていました。舞踏会でこれを着用しているフランツ ヨーゼフ帝の有名な絵があります。
白い軍服はマリア テレジア帝以来のオーストリア軍の伝統でした。
さて下級将校は何を着ていたのでしょう?
それにはヴィスコンティの名作映画`夏の嵐`が参考になります。
この映画にはオーストリア帝国軍人が出てきます。これを観ますとデザインは高官のものと同様で色は白、襟と袖は赤や黄色でした。ズボンは青みがかかったグレーで襟と同じ色のサイドラインが入っていました。
これを観てから私はマッテオの衣裳は上着は白で襟が赤の詰襟、左右8個の並列の金ボタン、ズボンはグレーで赤のサイドラインだと一人で決めつけておりました。
ところがオットー シェンク演出のアラベラの映画のDVDを観ましたらルネ コロ扮するマッテオは私の想像するものとは違うものを着ておりました。
青いシングルの6個ボタンの仕様の軍服を着ていたのです。
伝統を重んじるシェンクのことですからこれはどうしたことかと気になり調べました。
軍服に関して口やかましかったフランツ ヨーゼフ帝はよく制定のし直しを命じたそうです。1860年というのは微妙な年でその端境期だったようです。
シェンクの映画に出てきた軍服は騎兵将校の軍服で1867年以降の仕様でした。
シェンクは時代考証として1860年代後半の話としてこの問題を処理したのでしょう。
これ以前は騎兵も歩兵も同じ白い軍服でした。1867年以降は軍服の色が異なります。
シェンクの解釈としてはマッテオを騎兵であるとしたかったのでしょう。騎兵は当時のオーストリア帝国陸軍では花形の兵科でした。
将校は貴族の子弟も多くアラベラの父親ヴァルトナー伯爵も退役騎兵大尉でしたからその家に出入りできるのは騎兵将校であろうとの解釈だったのでしょう。
衣裳もこだわりだしますときりがないのですがやはり本物を見たいしそれが不可能であれば本物に近づける努力の跡を見たいと思います。
アラベラのDVDでフレミングが主演のチューリヒの録画を観ましたがこの時のマッテオの軍服はプロシャ風のものでした。ナチスドイツの軍服のイメージです。
演出家はウイーンのことなどまるで頭にないのでしょうからそれでも良いのでしょうがやはりウイーンの粋な将校さんは野暮なプロシャ風の軍服は似合いません。
この原稿を書いておりましたらまたウイーンの軍事博物館で古の軍服を観たくなりました。
本当にきれいですよ。
ただしオーストリア軍は戦争には弱かったのですが。
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